ARAKI’s Column荒木美佐夫のコラム

「 暴れん坊のオヤジ 」

僕のオヤジはすでに他界しているのですが記憶にあるオヤジは
ヤンチャで職人気質で暴れん坊なオヤジだった。

オヤジはいわゆる東京下町育ちの江戸っ子で大工さん、
母と結婚してからは千葉の松戸に住み移った。

もう35年位前の話だが、子供心に覚えているオヤジは『半鐘と言う鐘』
(火の見やぐらで、火災などの警報にたたき鳴らす小形の釣り鐘)
の音を聞くといつでも居ても経ってもいられず近所で火災が
あろうものなら夜中でもデっかい文字の入った、はっぴの様な上着と
足袋とカマのような道具を持ってさっ爽とチャリで出かける。
数時間すると変わり果てたズタボロな姿?墨で真っ黒な顔?
何かをやり遂げたような、生気が抜けた感じで帰って来る。
良くは知らないのだが母が言うには
火事場や天災時の救済活動も昔から大工や鳶の役目だったらしい?
普段から町の防犯や防災活動にはとても積極的だった。

 
また、普段から子煩悩で
とても手先が器用でアイディアマンだったオヤジは、
僕達兄弟の遊び道具はいつも一緒に作ってくれていた。
室内外どっちでも何処でも設置できるブランコや滑り台。
色々な形と大きさの和凧や、つり道具は竿から浮きまで手創り。
金属以外の物であれば何でも創れちゃうんだ!と幼心に思っていた。
いつも良く遊んでくれた。
と言うか?オヤジ自身が夢中になって楽しんでいた様な気もするけどね・・・
そのオヤジの仕事場では若い衆?見習い?(でっち奉公)には
非常に厳しくひどい時は金槌で殴っていた。
それは自分自身がそう言った修業を乗り越えて来たから同様に
教え込んでいるのだろう、当時の若い衆は自宅に下宿したり、
食事を共にとったりして、私生活から一般的な世の中の常識や
シツケまでをも親の変わりにしていたようだ。
今では考えられない・・・現代の教育とはかなり違っていた。

時には逃げ出しそのまま帰ってこない人もいればまた戻ってくる
人もいた。それもまた当時なりのその世界の篩なのでしょう・・・・。
しかし、見習いを面倒見ると預かった以上その責任は重大で「師」
として心身ともに労力を費やす。

その試練・修業を乗り越える事が出来れば。
職人として何処に行っても道具箱一つで渡り歩ける様になれる。
といつも口癖のように言っていたのを覚えている。

 

巣立っていった弟子達は独立してもまたオヤジに会いに来る。
オヤジもいつも暖かく迎い入れ、その時は親の目に変わっている。

そんなオヤジの
その技術力は子供心に覚えている範囲だが、あまり金具を使わず柱の切れ込みがパズルの様になっていてそれらを縦横斜めなどの絶妙な接点で組み合わして行く・・・若干、宮大工の様でもあった。
オヤジは修業時、船大工の経験もあり、その精度と組み合わせ方には独特なモノがあった。

オヤジの建てる建物は神社のような農家を約6ヶ月~1年?
イヤそれ以上?の工期をかけ一軒ずつほとんど一人で建ててしまう。
もちろん、基礎工事、左官、電気、水回りなどは外注であった。
だが、厄介な事に大工をほったらかしで
その外注の仕事を手伝っていた・・・。何でも興味があったのだろう
何でも一度は経験しておきたかったのだろうか?

畑は違うモノのそのオヤジの好奇心、探究心
そしてバイタリティやクリエイティブな面は僕と同じだ。

 
そんなオヤジは玉に瑕で悪い癖があった。
深酒をした時のオヤジは最悪だった・・・・。
気持ちの大きさが倍?イヤ数十倍になってしまうのだ。
外で飲んでもケンカして血だらけで帰ってくる。
たまにパトカーを自慢気にタクシー代わりにしていた。
しまいには、親兄弟皆に叱られ、外出禁止「酒は家で飲め!」と言う時期もあった。
シブシブ自宅で晩酌。

しかし酒はどこで飲んでも、体に及ぼす影響は同じだった。
少量の酒を飲んだオヤジは普通だったがあるレベルを超えると、
浴びる様に飲みだす、その後は「悪の超人ハルク」だった。
こんなに変わっちまうのか?と思うほどに暴れる。破る!壊す!

 
そのうち徐々に鬱憤が?不満が?母へ傾き
ドメスティックバイオレンスが始まってしまった。
毎日のようにこの時間が早く過ぎてくれ!の連続だった。

母は精神的にも疲れ、追い詰められていた。
僕に小声で「どうやってお父さんを殺そうか?」とまで、
何回となく相談された事もあった。
冗談には聞こえなかった…..。

家族も世間もそんなオヤジの悪い癖をいつまでも許す訳が無い!
家族の絆が薄れてしまっていく。
どんどん孤独になってしまう。
何の為に働き稼ぐのか?何を生き甲斐にして良いのか?
自己嫌悪に陥る。焦る。・・・当然だ。

 

そこで何処かで名誉挽回したかったのか?
以前からオヤジは自分自身で納得いく我家を建て替えたかった事もあり
チェーンソーやマサカリを振り回し後先考えず家の一部からブチ壊し
始めてしまった。また酔った勢いで空回り?
更に酒を浴びるように飲み始めた、
さー破壊魔のエンジンがかかってしまった
僕は止めに近づいたのだが、もう止められない
コブシで家の外壁なんて貫通してしまう怪力に変身。
また悪の超人ハルクになっていた。
何とそのマサカリで僕に向かって一振り!?
止める者へは見境が無かった。
殺気を感じたのはこの時が初体験だった。しかもオヤジ。

その時までオヤジはどんなに泥酔状態でも僕には優しかった。
しかしその時ばかりは違っていて怖かった。
何かにとり憑かれていた。

その後、シラフに戻って現実を目の辺りにしたオヤジはシブシブ
全部自己責任ということで一人で綺麗に解体してしまった。
まぁそこでも解体した材木を燃やし、火が大きくなり過ぎて
消防車が何台も来てしまった騒動にもなっていたけどね。

あまりに暴れん坊で始末に負えないオヤジに
思いつめた母が気の毒で、子供心に
「僕は何処に行っても大丈夫。妹の面倒は僕が見るから・・・」と、
父を残し脱出を提案した。
今思うとそんなに自信は無かったのだが、今を切り抜ける事が
先決だった。

母と僕と妹でひっそりとした生活でも、暴れん坊のオヤジから開放
されただけで、何かとっても穏やかで暖かい小さな幸せを感じた。
そんな環境下からでも
どこまで頑張って成長できるか?豊かになれるか?不安だらけだが
希望の方が大きく自分が楽しみだった。
今から出来る事から始め、精一杯試す事の充実感でイッパイでした。

もちろん平常な家庭になりつつも他の家庭とのハンディを徐々に感じ
辛い時もあった。親に甘えたりオネダリは無い。したくない。
不公平を不満に感じ中学~高校では到底、みんなには出来ない
校則違反?それ以上の違反もした。

 

しかし、問題を起こしても自己責任、母には迷惑はかけられない。
事故を起こしても、何かを壊しても誰も立て替えては貰えない。
思いっきり不良になる余裕も器量も僕には無かった。
シャイな不良が貫く一本気や男気は解る、
しかし甘えん坊の不良もいた、
家出や家庭内暴力、都合良い解釈やスネかじりは我が家では許されない
それどころじゃない。崖っぷちの死活問題にいつも立たされ。
金も無い。何の保険も保障もないんだ。半端は許されないんだ。

そうやって幸か?不幸か?誰かを頼る”すべ”が無い為、
自立した考えや判断力が自然に身に付いて行った。
今思うと色々と強く信念が持てるようになったきっかけだと思う。
これだけのギャップの経験者はどんな時でもある程度事では動じないんだよ。

たま~に、カッとすると、何か変な血が逆流するような時がある?!
その時は「押さえが効かない?どうしよッ」と言う時がね・・・
そう思うと、いやぁ~~参った。
オヤジの血が僕の体を流れているのを感じる?
・・・・とすると僕は「破壊魔?悪の超人ハルク?」と化するのか?
若きし頃、いつかはオヤジのようになるのか?
そんな血筋でヒヤヒヤしていた、
今ではコントロールできるし、かなり穏やかだ。
でもいつその血が騒ぐか解らない。

今は穏やか、それは僕の体には母の血も流れているからだ。
母は忍耐強く献身的でとても努力家でかなり尊敬してます。
僕が今まで何をしでかそうが、動じず、毅然としている。
「自分の事は自分で始末しなさい」とだけ教えられて来た。

 

母もまた職人で。松戸にいた頃は和裁教室を営んでいた事もあり
嫁入り前の若いムスメ達がゾロゾロ我が家に来ていた、その頃幼い僕は
いつも皆の邪魔をしていたことを覚えている。
婚礼の晴れ着などの着物の仕立てをしていて今でもご指名があり仕立ててます。

両親共に職人だったのです。

振り返ってみれば
普段のオヤジは近所の旦那さん達の中ではひときわ町の為になる事に
積極的で一本気でシャイで表現が不器用なオヤジだった。
いま、自分が父親になって初めて解った事も沢山あって、
今なら暴れん坊のオヤジもヤロウ同士、分かち合えるのかもしれない。
父の深酒さえなければ、僕の人生もかなり違っていたであろう・・・
妻とも知り合っていない、今の子供達も居ない、仕事も、住まいも、友達も
全て違っていただろう。
しかし、今は今でそれなりに充実し楽しんで生きている。運命とは面白い。

そんな両親の元に生まれてから色々な状況下を経験した
良くも悪くも他の人とは違った人生の歩みの結果、
成し得た物は深く厚い。

そして今の自分に至る。これからも色々とあるだろう・・・
楽しむも、流されるも、力強く生きるも自分次第、何歳になっても
今後の自分の可能性が楽しみです。

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