ARAKI’s Column荒木美佐夫のコラム

「こだわりとは・・・」

皆さんが普段生活いていく上で何気なく関わっている風習や文化とは、精神的なモノや流行や主張や時代や環境に合わせ移り変わり何かにとらわれ、こだわり、それが利便性なモノなのか? 心地良いモノであったり?研究してそれらが文化となっていくのでしょう・・・生き物の進化の一部分だと思います。
行動や時間の使い方やモノの選び方など何かのルールや常識又は本能の様なモノに添って地球上である程度同じ生活している。しかし、性格や体格、人種や環境はそれぞれ違います。そこで、その人それぞれが何か個々に持っているこだわりや価値観を基準に生活しています。

全てが何でもイイ・・・と言うモノではありません。

 

皆さんは今何にこだわってますか?
そのこだわりとはもの凄い細かいところまでに至と思います。
例えば
・食事などで、口にする順序や味
・ファッション
・日取りや時間
・材質
・香り
など、など・・・ちょっとしたことまで無数に知らず知らずのウチにこだわっていることが多くありませんか?

 

僕なんか、消しゴムやボールペンの滑り具合、整理整頓、靴、好きな色、雰囲気、スタイル・・・色んなところに知らぬ間にこだわっています。
自分が気持ちよく時間が過ぎるように・・・とか、心地よい空気、心地よい肌触り、心地よい乗り味?・・・と無意識に自分にとって何が心地よいか?気兼ねしないか?を探っていてそのまま無意識に選択している事が多いのです。
もちろん、故意的に選択している事も多数有ります。

 

このこだわりとは、皆さんの持つ価値観にも関わってきます。
よく考えてみるとこの世に無くてはならないモノで,もしも無かったら「必要なとき必要なモノを何の選択や意味もなく何でも受け入れる」全て事務的に処理され全く感動やイイも悪いも無く無機質な楽しくも悲しくもない生活になることでしょう。

 

そこで、こだわりの一つでもある「カスタム」「ハンドメイド」です。
色んな所に近年「カスタム」と言う言葉を聞くようになりました。
僕はバイクショップですのでBikeのカスタムなのですが、いろいろな楽しみ方やこだわりがございます。
旧車・レプリカ・オフ車・アメリカン・スクーター・・・さらに今は、カスタムによって細かく流行りでカテゴリーが分かれ
同じオフ車系でも
トラッカー・モタード・モトクロス・エンデューロ・トライアル・・・
ロード系でも
レーサーレプリカ・ネイキッド・ツアラー・アメリカン・スリートファイター・エクストリーム・ビックスクーター系・・・
などなど、いろいろな楽しみ方、利用用途、カスタム思考でどんどん新しい分野が湧いてくる、ずいぶん自由にモディファイ出来る時代です。
また、楽しみ方を考えることが出来る人が増えたこと

 

一昔前では
「日本人はとても遊ぶのが下手だ・・・」と言われてました。それは下手と言うよりも廻りの「目」・「認知度」・「仲間」と言うところをどうも気になってしまう? 家庭持ち・サラリーマン・学生・・・と、常識ではそれぞれ身分相応に、「こうでないといけない」みたいな風習が根強くあった。

 

例えば、
僕のオヤジはバイクに乗っていたが、廻りではビジネスバイク以外のバイクを乗るオヤジは、けっこう ご近所では白い目で見られていました。
しかし、近年やっと自由に物事をとらえることが出来ようになり、お父さんとツーリング・・・とか?セガレを連れてレース観戦・・・・とか?
色んなスポーツや趣味にに対しての認識が変わって来ている。それって有る意味自分の中のバイタリィーを養っていることに繋がっています。
「こうでなければいけない」「こうであるべき」・・・みたいな概念は薄れ、もっと素直に自分を出せる・参加できる時代がやってきた気がします。

 

自己主張、良いか悪いかは別としてカスタムはモーターサイクルの文化です。
アメリカではカスタムと言わず個人の自己主張としてパーソナリゼーションとも呼んでいる事がそれを証明しています。
しかしそんな自由から生まれたカスタムもこの所、「見飽きた」「ありがち」「みんな同じ」と言う傾向でもあります。

業界のある有力人物はこう言います・・・
「日本には 本当のカスタムビルダーが育っていません。それはカスタム暗黒の時代が モータリゼーションの拡大とは逆に長すぎた事。日本人の人と違う事を恐れる民族性。
ありきたりなZ,刀、忍者などのカスタムは もうおなか一杯です。
でもそれは仕方ない商売の核なんでしょうから……
モーターサイクル自体に社会的地位が全く無く無くてよいもの、子供のおもちゃとしての認識がされている事。以上が理由と思っております。

・・・と、ごもっともです。

 

「これならみんなと同じでカッコイイですヨォ~!!」
「これはみんな付けてますよ」
日本人の民族性を利用した商売でキャッチフレーズやイメージ先行、自画自賛したコマーシャルし過大評価し?日本人の弱いところを食い物にしようとねらっている業者もいることは確かです。日本人の悪い癖で「高いモノ」イコール「良い物」と言う感じ方はまだ残ってます。
でも実際自分は何を求めていたのか・・・?
モノを見る目を養い、他人を気にせず自分のとって大事なところからどこにまず予算をかけていくべきか順番付けし最終形を最初に構想しておくべきでしょう。

 

なかにはどんどんショップに進められるがまま、付けてしまい自分の理想とは違った方向に、仕上がってしまった・・・とか
ショップが言っているほど効果が得られなかった・・・
と言うお客さんたちを多く見てきました。
はっきり言って見よう見まねで前例や参考があって初めて
製作に取りかかれるショップ?それらユーザーさん達の範囲でしょ?

ショップであればこだわりをウリにし、新発想やそのショップの個性を出してもらいたいものです。

 

ショップさんのこだわり、
ユーザーさんのこだわり、
メーカーさんのこだわり、
それはスタイルなのか、好きなエンジンなのか、年代なのか、憧れのバイクなのか、性能なのか、愛着なのか、どこに魅力を感じるのか?

それぞれのこだわりが融合したモノがカスタムでしょう・・・
そのこだわりを大事にし何かしら具現化して自分のモノにしたい自分らしさを出したいです。
そこで評価されたり、共感をもたれたりし、ショップさんやPartsメーカーさん達は、評価で得た利益で、また更なるモノを産み出せばいいんじゃない?
そうやって次に繋がります。広がります。

 

もっと素直に自分を出せる・・・
参加できる時代がやって来たのですから・・・

そのこだわりのため僕がよく言う
「常識内の非常識」  から
ひとつの枠からもう一歩踏み出してみませんか?
夢・想像力・寛大・理解力・カテゴリー・遊び心・・・
が広がりそうです!

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